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18/4/29 台北故宮博物院の話


突然ですが、台北に行ってきました。
突然決まりパスポート取りながらも「ほんとに行けるんだろうか…」と不安になっていたのでまったく人に言っていませんでしたが、ほんとに行けました。突然行って突然帰ってきた。
台北行くならとりあえず故宮博物院はぜったい行きたい、あとは美味しいものとか食べられればOK!みたいなざっくりした希望を同行の友人に伝え、希望どおり故宮へ行かせてもらいました、というわけでブログには故宮の話をメインに書きます。
あとはマンゴーのかき氷だの小龍包だのを食べたり夜市をうろついたり九份の階段で豪雨に降られて盛大にすっ転び周囲の観光客に心配されたりといういかにもな観光をしておりました。たのしい。


で、故宮です。
東博に故宮博物院展がきたときに行きそこねたんですが、「まあ台北くらいなら近いしいつか行けるんじゃないかな…」と思っていましたので念願の故宮です。
全部はみきれないつもりで行き、実際全部はみきれなかったんですけどとりあえず白菜と角煮は押さえた。皆写真バシャバシャ撮っててソワソワした。

台北に泊まっていたので電車で最寄りまで移動してそっからバス乗っていくんですが、
今回の旅行で長田がおもしろがったポイントベスト3に入るのが移動中の車窓の風景であり、移動のたびに景色をながめてしずかに興奮しておりました。
空港に着いたときから「なんか色味違くない!?」と言ってましたが(今思えば窓ガラスの色だったのかもしれないな…)、どこ行っても山の色や葉っぱの感じとか建物のつくりとか街のつくりかたとか、すごく面白くてわくわくした。
特に建物は、縦線と横線がめちゃくちゃ多くて隙がなくてたいていてっぺんに余計なものがくっついていたりして、どれもプラスの仕事でできている感がすごくてゴリゴリしていた。間の国日本ではやらないデザインだ。そういう建物を山のすぐそばにボカスカ建てちゃうのも間の国ではやらない。強そう。



故宮の門と強そうな建物

閑話休題、故宮までも景色を眺めながら辿り着き、これまたプラスの仕事でできた色鮮やかな故宮の建物をiPhoneのカメラに収め、展示室の入り口で「リュックダメ」と言われてコインロッカーに荷物を預け(セキュリティがしっかりしている!)、とりあえず三階の展示室まであがりました。白菜と角煮が三階だから。
階段が東博の三倍くらい広かった。スタッフの人も日本語できるし日本人いっぱいいるし、チケット売り場のお姉さんはとてもフランクに仕事をしていた。日本語のパンフがあるっていうから貰おうと思っていたのに忘れた。そして未だ手元にない。

今回みたのは青銅器と、チベットやウイグルなど民族の文物と、玉器と、白菜角煮と、あと書画あたり。
体験型の展示室などもありそれも面白かった。玉器の企画展は、人でごった返しているのに閉口しあまり覚えていない…。ツアーで団体でまわっている人たちもすごく多くて、ぶつかるとすごい人ごみになる。

三階でとりあえず最初に入ったのが青銅器の部屋だったのですが、これ個人的に当たりだった感あります。
春秋戦国時代などの、紀元前の青銅器ですが、動物の飾りや絵がついているのがけっこう多くてかわいくて、フォルムもいろいろでやたら丸かったりやたらゴツゴツしていたり凝った形もたくさんあって、「かわいー」を連発していた。日本語のキャプションが少ないため詳細がわからず無知ゆえ「かわいー」を連発していた節もある。プリミティブなデフォルメ、模様でいっぱいにする原初的楽しさ。
あと古代文字もかわいい。すごく昔の漢字がいろいろなところに入っている。ものを入れる内側の部分に文字を入れるのは機能的にどうなのかと思いますけど、でも入れちゃうんですよ。
生きてる人が模されて文字になってる感が良いんですよ。「楽」って字とかほんと楽しそうなんですよ。久しぶりにトンパ文字をみたくなった。小学生の時分、CMをきっかけにゆるゆるとトンパ文字にはまっておりトンパ文字Tシャツを着ていた。この話は前にもした。
チベットのアクセサリーなども、考古展示室で勾玉をみているときのようなドキドキを感じ、楽しかった。どうしてあんなにドキドキするのか自分でも不思議。

白菜角煮は名物として二つが同じ部屋に配されており、スマホのカメラを向ける人の行列であり、肉眼でみるだけの派閥の自分、少数派すぎてなんか不安になる。
翡翠の白菜は5センチくらいの小さなものを想像していたのですが意外と大きく、しかし同行の友人はリアル白菜サイズを想像していたらしく小さかったとのこと。
その点角煮は裏切らないサイズ感である。コラーゲンの再現度が高い。リアル角煮なのであの仰々しい台に載っているのが冷静になるとちょっと面白くなってしまう。
しかし白菜にしろ角煮にしろ、天然の石の色や質感を生かしてつくっていることを考えるとやはり驚く。特に角煮。白菜も、すきとおる緑がとても綺麗だけど。
いや今回の感想、視点がほんとうに無知だな自分。大丈夫なのか。


で、玉器をみたあとすこし休憩して、二階の書画の展示室がみたかったので(余談ですが「画」を「畫」と表記するのは良いよな…なんか字も絵もどっちもカバーしてる感がぐっとくるんだよな…)、
行きましたらこちらの企画展、入り口のとこにでかでかと告知されていた「偽好物」というキャッチーなタイトルとビジュアルの展覧会でありました。



これです。

「偽好物」とはなんぞやというのをわからぬまま突入してしまったのですが、中盤でみつけた日本語の解説によれば(中盤にあんな基本的な解説があるのも妙なので順路どおりみていなかった可能性は高いよな…)、
「蘇州片」と総称される偽古書画作品群が16~18世紀にあり、まあ言うなれば模作、贋作ですから美術的価値ありとはあまり看做されてきませんでしたが、質と量とに無視できないほどの膨大さがあり、それらの質の高さ(低いものもあるそうですが)とその影響とを今回展覧します、という、まあざっとこんなところでしょうか。
「偽好物」というタイトルになんとなく予感はしつつも、展示室でみていたものが贋作(模写とかかもしれないけど)とは思っていなかったので解説読んでたまげました。それだけハイクオリティーだったわけです。
その先には故宮所蔵のオリジナルと比較する展示などもあり、微妙な違いや、微妙どころじゃないちがいをみつけるのがとても楽しく。だって人の髪型だの服装だのさらっと変えたり、挙句の果てには居ない人を付け加えたりしているんですよ。逆に消されているパターンもある…。

しかし中国の人の絵というのは、とても繊細で、ぬかりなく、隙がなく、丁寧で美しい。
ひとを描く筆の繊細さ、岩を描く筆の重厚さをみるだに思う。
そして何よりちがいを実感したのは木の葉に対する意識。ちゃんと樹や枝の大きさに対して正しい葉の大きさで点を打っている、リアリティを考えたら当然なのだけど驚いた。日本の人の描きかたはもっとざっくりしている。筆で書ける大きさの点で葉のかたまりを描く、同じ時代に同じ絵巻を描いても日本ではそうする。意識のちがいが如実にあらわれる。

空港へ向かう電車からの景色で、山に色んな種類の大きな葉っぱが繁っているのをみた。
いわゆる南宋画そのままであった。
私がみたのは台湾であって大陸のほうではないからわからぬとはいえ、あの絵の葉っぱの感じはほんとにあるんだな…と思ったりした。日本の人びとは、中国の人が描くものを真似して、知らず知らず中国のリアリティを描いていたのだろう。
文人の人びとが描いた山水画のような、岩山がひしめき合う景色もきっとほんとにある。当時の日本人からすればファンタジーであり、別の星のような異世界だった風景。
あと緑の山の先端を濃い青で塗る表現も、どうやら中国が先っぽいですね。あの表現はすごく好きで、かつてボストン美術館展で光琳の松島図をみて初めてあの色に出会ったとき、衝撃を受けたものだけど。
もしかしたらあの色、あの先っぽが青い山も中国のどこかにあるんだろうか。あるなら見たい。

などと、絵についてはなんとなく日本とのつながりに思いを馳せました。


みられなかった展示室はまたの機会に、というか時期によって膨大な収蔵品を入れ替えているはずなので、また行ったらきっと新しいものがまたみられる。たのしみ。

解説が読めない無知ゆえ(漢字と超簡単な英語くらいしかわからない)、絵以外は、本能でアンテナが立つもののところへ近づきがちでしたが、
やはりプリミティブなものだとか、古代のものだとかにどうやら惹かれていたようです。
そういうものをもっとちゃんと調べたり、いろいろ集めたりしてみようか。しばらく日本の土偶だの勾玉だのばかりみてきたけど、それは興味の氷山の一角であって、もっと視野を広げてみてもいいかもしれないな。

台北は日本から近いけど、それでもちがう空気にふれて、もっと遠くやいろいろなところにも、行ってみたくなった。
放っとくとすぐ気持ちが鎖国してしまうんですが、少しは緩和されてゆくかしら。などと、いま思っております。
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