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18/06/07 気づくのが遅い話


先日、初めてシンポジウムというものを聴講した。
テーマは「縄文の美」で、故宮に行ってからプリミティブなものへの興味が再燃しているのでもっといろいろ見に行ったろというのが、足を運んだ一番の理由だったのだが、
その話の流れでようやく気がついたことが、自分にとってとても腑に落ちたので、書き留めておきたいので、書きます。


もちろん諸先生方の講演も聴けてうれしかったのだけど、気づいた一番のきっかけは、最後のパネルディスカッションで、
自然との共生、という話がでてきたことです。

予習も兼ねて、縄文の本を読んでいたのですが、その中でも「自然との共存共生」という話はしばしば登場し、
非常にあこがれと共感をおぼえていたのだった。
さらにはごく最近、「かぐや姫の物語」と、「モリのいる場所」をみて、やはり自然と人間ということに、どうも考えが及んでいたのである。

まず「欧米の美術は作品と”対峙”するけれど、日本の美術は作品の中に入っていく。”共生”ですよね」という話があった。まずこれにめちゃくちゃ共感した。
絵が絵の中に自分を入れてくれる。私が日本のむかしの絵をすきな理由のひとつである。
うまく関係性をもてない絵に出会ったとき、「入れてくれない」と思うことがある。それがどういうわけか明治以降の日本画に多い。欧米の絵をみるときははなから入れる入れないの問題など考えないが、日本画となるとやはり江戸以前の絵の感覚と同じものを求めようとしてしまうのかもしれない。そしてちょいちょい閉め出される。
「入れてもらえる」感覚は私の勝手な錯覚ではなかったのだとうれしくなった。

その流れで、「自然と対峙するのではなく共生する、というのは、日本文化のいちばん根底にある」ということを、私の尊敬する先生が仰った。これがますますうれしかった。
本を読んであこがれた、縄文に端を発する感覚が、わたしの好きなものの中にずっと流れているのだ。

ひいてはわたしの好きなものをわたしが好きな理由が、なんとなくわかった様に思えた。わかってなかったのかよって感じですけど。
縄文の土偶とか、何かいてるか全然わかんないけどもしかしたら宇宙の真理がかいてあるんじゃないかとわくわくしてくる謎の土板(東博の考古展示室でみた)とか、故宮でみた古代文字とか、古代や民族の装飾品とか、日本の花や鳥の絵とか、風景のど真ん中に入れてくれる屏風とか、そういう、いままでなぜだかわからないままドキドキしていたもの、
もしかしたら、人間が自然の一部として生きていることを、感じられるから好きなんじゃないだろうか。
そして遡れば、小学生の頃ドキドキした弥生時代や縄文時代も、ぼんやり惹かれたいろいろな古代文明も、中学の頃すきだった漫画も、みんな、「人間が自然の中で生きる」「自然のほんの一部にすぎない」ことを、感ぜられるからすきだったんじゃないだろうか。とすると、私のあこがれは、小学生くらいからずっとあるということになる。

いま生きていて感じるあこがれも、違和感も、その意識が根っこにあることを考えればわりと納得できて、
なにやら自分の感情の、言葉にできていなかった部分をようやく自分なりに解釈できたようで、そのうえでやっぱり好きなものを好きと思えてうれしくて、ありがたいなあと思った。
故宮と台北へ行って、好きなものを思い出すことができたということは、好きなものを忘れていたということではないか。毎日生きていて、自然の一部だという実感からどんどん離れていくうちに、いつしか自分がそれを求めていたことすら忘れて、好きなものも忘れていたのではないか。そうして違和感だけが残っていて、この違和感がどうして起こるのかもよくわかっていなかった。

なんか、昔から、自分の好きなものとか、大事にしたいものとかに、気づくのが遅いんですよね。
今回だって、遡ったら小学生のころのこととか思い出したわけで。何年経ってんだよ。
故宮をきっかけにして、今いろいろみようと心がけていますが、まさかこんな深いとこまで意識が及ぶと思わなかったので、びっくりしています。
なんか本当に、どこでなにが起こるかわかんないから、自分の目と手と足でためしに行かなきゃだなあ。

しかし、シンポジウム初聴講、
先日「これちょっと聴いてみたかったなあ」という美術館の講演会をふたつ逃して、次こそは興味持ったら行くぞ!という気持ちもあったところでして、会場も好きな美術館でしたし、足を運んでみたのです。
自分より高めの年齢層に柄にもなくびびったり、前列で研究者とおぼしき方々の名刺交換が展開されて柄にもなくアウェーを感じたりしましたが、
しかしそれでも聴けたのだから「私でも聴ける…!」と安心しました。

ちなみに、別に勘違いはされないと思いますが、自然を守ろうとか、自然の中で暮らそうとか、はたまた懐古とか、そういうのとはちょっと違うと思うんです。解る人にだけわかればいいです、そのへんは。
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