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16/10/28

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最近珍しく更新がコンスタント。いつまで続くのか。
鎌倉の鏑木清方記念美術館に行ってきました。
「清方」が変換されなくていま軽くショックを受けています。わびしい世の中だ。

清方に目が向いたのはここ1年足らずの間。きっかけはおそらく山下先生×橋本麻里さんの対談本『驚くべき日本美術』に出ていた山下先生のこんなような発言。「松園と清方が日本美術における最後の”筆ネイティブ”」。
これを読んだとき、もうこの時代に生まれた以上自分はどうがんばっても憧れの明治以前のひとたちの筆に追いつけないのだ、と突きつけられたようで若干傷ついたけれども、同時に松園と並び称される清方がどんな御仁なのか気になった。松園はそのときすでに何度かみていてうっとりとした体験があったけれども、清方は名前と時代くらいだったかな。
そこで本を借りて見てみたり色々するわけですが、すごく共感する感覚にしびれ、明治以降の日本画と名がついてからの絵をみて、自分がときどき起こしてしまう胸焼けが、清方の絵にはほとんど起こらない。借りてきた本では、またも山下先生が清方に流れる江戸の遺伝子について文章を寄せていた。遺伝子という言葉はぽとんと腑に落ちた。
挿絵の仕事、美人の佇まい、庶民の風景、季節へのまなざし、清方が生まれた明治初期の東京には、まだ江戸がついこの間として残っていて、清方の身体と心と筆には、それが染みついている。ついこの間の江戸の実感を清方は強くもって昭和の戦後まで生きた。すごく長い年月。その実感が、江戸を知らんくせに私にはやけに親しみ深く思われ、それを失った絵は、私のいるところよりはるか上へ上へと昇っていって見下ろされてしまう。吸い込んでくれるくれないで言うと前者が吸い込んでくれる。遺伝子の有無は、抜きとか、間とか、余裕とかのモンダイと繋がっているのだろうか。書いていてふと思った。

閑話休題、清方への慕情についてはこのくらいでよろしかったでしょうか。
面倒な人は上のひとかたまりは読み飛ばしてください。
それで結局、清方が晩年をすごした鎌倉に建てられた、記念美術館に行くことと相成った。私が生まれる頃にはもういなくて、画集の中のひとになってしまったけれど、鎌倉のこの家で、この門の前で、ほんの何十年前の話なのだ。そんな最近まで、生きた江戸遺伝子が存在したことが不思議な感覚。

こぢんまりとした展示室で、でも見ごたえのある作品で、清方の屏風、掛軸、スケッチ、口絵、挿絵、下絵がおかれている。すいていたのでひとつひとつをじっくりみられる。

晩年の、これぞ清方の美人画と思われる掛軸には、白粉の盛り方、髪の結い方と飾り方、そして着物や小物のあわせ方への、ひとつひとつの細やかな気遣いとたのしさが、あふれている。
こんな着物を着せよう、こんな髪型をさせて、こんな簪を挿そう、というような感覚。
若い頃の肉筆にはあまりその余裕がなくて、人物の描写やシチュエーションへの意識が大きい。でも若い頃は若い頃でドラマチックなおもしろい挿絵もたくさん描いているし、豪華な美しい口絵も手がけている。こんな豪華な木版や石版の口絵が入っているなんて、当時の本はすてきに贅沢だわ。
肉筆の美人は、なんだかすべてをやさしくなぞって、撫でてかたどって出来あがっているみたいだ。白粉で顔のかたちをなぞり、髪の色のぼかしで結った髪のふくらみをなぞり、着物の模様のひとつひとつ、帯揚げの手ざわり、帯締めできゅっと結んだお太鼓の中まで、ひとつひとつふれて確かめるような繊細さだ。それを絵をみる私たちは、目で追いかけて、ふれられるようで、それが心地よい。
下絵やスケッチは、瞬発力がすごい。下描きの線が迷っていない。最初っから、かなり最終的なかたちに近づいたところからはじめているのでびびる。「こう描こう」と思ったものをすぐ描けるんだ。

清方の言葉が添えられている収蔵品図録を買った。清方は自分の作品について、とてもよく喋る。こういうところは現代の画家だ。

清方系遺伝子は、今でも残っているんだろうかと、絵の遺伝子について考えると気にかかってくるのだけど、
もしかするともっている人の多くは日本画以外の描く職になっちゃっているんじゃないかと、思わないこともないのだった。
これはもっと小声で言った方がいいのかもしれないけど、若い頃の挿絵なんか見ていると、この遺伝子を受け継いでいるのは、日本画じゃない絵のひとたちだなと思ってしまう。どうしてそこに受け継がれなかったのだろうと、複雑な思いにもなるけれど。
あの、私個人の好みや親近感の問題が大きい話ですから、気にしないでくださいね。今回そんな話ばかりですみません。

あ、そうそう、清方が自分と同い年のときの挿絵の仕事をみた。このときにはすでにいっぱしの挿絵画家であったでしょう。この気の締まる心持ちを忘れてはなるまいよ。
だけどすっかり日本画家として名を成した晩年も、若いころ挿絵を描いていた時の気持ちを忘れてはいないと、いうようなことを、たびたび言ってくれているのは私はうれしいな。
ついさっき、図録の序にあった「自作を語る」をざっと読み、
「平生机上で新聞雑誌にたかだか半紙半切ぐらいの挿絵画を常の職にしている身が幅四間に負う大作に取り組むのはむしろ無鉄砲と傍からは見られたろうが」(仮名遣いと旧字は今のものに改めています)(ていうか変換できませんでした)
というくだりがあり、清方もそんな気持ちになったものかと、なんだか沁みてしまった。ので、書き留めて〆にします。
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