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15/07/19


絵ってなんだっけ、ということを思う最近です。
傷心の末、初心に帰ってエネルギーを補給しに東博に行きまして、
そこでみたものの話ですので、すみません、こっから先はいつものテンションです。

今回も東博はおもしろかったです。
初心に帰る、なんてカッコつけたことを冒頭で書いていますが、本当のところは、応挙の朝顔狗子図の杉戸が出ていると知ったからであります。
描かれたときは京都だったろうに、今は東京でみられるんだから不思議なことだなあ。
(8/9追記。実は愛知で描かれたものだと知りました。細かいことろくに知らない。)
朝顔狗子図トートバッグ(前東博にきたときに買った)を持っているので、それで行きましたが、さすがに同じ展示室にいるとこっ恥ずかしくなって、絵のところを隠したりしましたけど。
その日にそのバッグを提げて歩いてるチビを見かけたならそれは私です。

応挙の話から入ったので応挙の話からしますね。
朝顔狗子図は、今まで図版やグッズの絵柄くらいでしかみたことがなかったけど、
実物を前にすると、やわらかいけど元気のある子犬の毛並みを一本一本描く筆ぶり、鼻の頭や足の先や、瞳の中の光と陰、そういう細やかなポイントをすごく丁寧に愛情をもって描いているのがわかって、しびれてしまいますね。
朝顔のつるが、地面をぐいぐいと這うのも、のびやかに描かれていて。
応挙は子犬の顔を、じいっと覗き込んで描いただろうな。その時に子犬は、どんな目で応挙を見つめ返したんだろう。それとも、興味なさそうに、すんっと目を逸らしたのかしら。後者な気がする。あんまり応挙の子犬ってこっちを見ていない。

先日もテレビで応挙特集をしていましたが、奇想の絵師ばかりのプライスコレクションから入った自分には、はじめは応挙が地味にみえていたけど、
その真面目さやアイディアからくる面白さは、じわじわと人を惹き込んでいく深さがあると、最近は思うようになりました。
ってか応挙の絵が地味にみえてしまうのは蕭白(の有名な台詞)のせいな気がする。あと名前で損してる。若冲や蕭白や蘆雪なんかと比べるとどうしても詩的な感じが薄いよ。エライ人がつけたエライ名前なのはわかるんだけどさ。

閑話休題。
応挙のあった部屋と同じ部屋でおきた話をします。

応挙の子犬の前にベンチがあったので座って休んでいましたら、その先の、同じ展示室のまだみていない絵が目に入るわけですね。
そうしたら本でみたことがある蘆雪の寒山拾得の屏風があって、おっ!あれ本で見たことあるやつだ!わーあんなにでっかいんだなあーとか思っていると、その隣の絵もまあ目に入りますわな。
墨の色と朱の色が、なんだか見覚えのある形だなと気づいた瞬間に、はっと目を逸らして呼吸を整えました。

本で見て好きになった蘆雪の火事の絵があります。本の写真を撮って保存してあります。(そして実はラインの背景にしています。)
しかし個人蔵なのでどこにあるのかもわからないし、いつ実物に会えるかもわからないなあと思っていた、
その絵が、ひょっこりと、東博の常設に架かっていたんですね。
は!!??(一瞬理解不能)

応挙からその絵までの間に抱一とかあったんですけど、もう抱一どころじゃなかったよ。ゴメンね抱一。場所が悪かった。

本でみたときは、もっと色がくすんでみえていました。
でも実物は、紙が白くて、墨が青くて、およそ200年以上前の絵にはみえませんでした。
白と墨の中に、うごめく朱。火の熱。この光景を浴びて、絵の中にとらえようとする、蘆雪の手の熱。天まで届く高らかな煙と炎の、紙を超えて突き抜けてしまいそうな、筆さばき。ものすごい瞬発力で、蘆雪はこの筆を動かしただろう。
そして落款の、墨と朱の混じった(本当にどうすればこう書けるんだこれは)即席漫写。わたしは蘆雪のサインが好きだと思う。何度もみているせいかもしれないが。
蘆雪は熱くてクドくて、でも変に軽やかで、クセの強い顔で、あからさまに、どうだ、って表情をしてくる。わたしはおそらくそれが、羨ましいんだろう。その気持ちよさは、自分にはない。

感傷的になってしまった。
それから蘆雪と若冲と、あと誰だっけなあ、ウドの絵を描いてたんだけど。ともかくその三点扇子があってそれもよかったし、
それから玉瀾の扇面があって、葉のラインがすてきだった。玉瀾って今までに生でみているかなあ?
ああ、ウドの絵が誰だったか思い出せない。蘆雪のスズメちゃんの隣だったのに。無念。


火事の絵は撮影禁止だったため、スズメちゃん。

さて、応挙と蘆雪に全部もってかれた話はようやく終わったところでもうこんなに書いてしまったので、あとはさらっといきます。

最初に踊る埴輪が迎えてくれたのもうれしかったし、
最近コムズカしくみてしまいがちな仏画も、一癖ある面白いのが多くて、楽しかった。レーザービームみたいのが出てるやつがあって圧倒された。(馬鹿にしているわけでは決してなく本当にレーザービームにしかみえないのである)
屏風の部屋は洛中洛外図と風俗図で、やっぱりエネルギーがすごい。絵師がかけたエネルギーが、そのまま絵にとじ込められているんじゃないだろうか。

それからこの日はようやく一階もちゃんとみられて、春に行った三十三間堂で貸出中になっていて「動かせるんだね!?」と思った観音像が、ひょっこりいたりして、あら奇遇ですね、こんなところで会うなんて。

そして最後の最後、近現代の美術の部屋に、暁斎があった。
この地獄極楽図が大変でかく、大変エグい。鬼の顔なんか、わざと極限までグロテスクに描いてるんじゃないか、ここまでしなくてもいいじゃないかと思うほどのエグさ。でも、あんな大きな画面に、大胆に筆を動かす暁斎はとても楽しそうだ。
本で見たことはある絵だったけど(閻魔様の顔がキョーレツなので忘れがたい)、まさかあんなに巨大だとは思わなかった。火事の絵も、想像より一回りくらい大きかった。寒山拾得も。生でみないとわからないことってたくさんある。

いつまで東博について書いてんだろ。あほか。楽しい。
絵ってなんだっけは解決するんでしょうか。
書きながらふつふつと考えましたが、ウドの絵は呉春だったかもしれません。たぶん。もしかして。了。
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