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15/06/30

DSC_2894.jpg
スケッチは例のあれ

なんだかんだ更新せずに6月が終わってしまいます...
まじめにやれよ...

5月後半〜6月にみたいろいろなものについてかいつまんで書きます。


○5/24広重と清親/太田記念美術館
広重と清親っていうか応為の限定公開が目当てで行ったんですけどね......
「百日紅」の公開記念だったので、親父の北斎、渓斎英泉の肉筆画と三つ並び。
北斎は源氏物語かなにかのみやびな主題だったのがちょっと意外で、英泉は相変わらず美人の顔描くの好きなんだなって感じ。
で、応為。わたしと応為とのファーストコンタクトは(まー...向こうはこっちのことなんか見ちゃあいませんけど)たしかこの吉原格子先之図だったんじゃあるまいか。
初めて本でみた当時は目覚めていなかったので、デフォルメが強くてフラットな印象が強い浮世絵のイメージからすると、新鮮で不思議な絵だなと思っていたような気がします。やっぱり光の感覚が一歩先に行っているんですね。
でも印刷でみると、その光のグラデーションの具合とかがよく見えなくて、下手するとエアブラシかな?ってなっちゃうくらいなんだが、
実物を間近で見ましたら、その提灯や店の光と影のグラデーションを、ちゃんと日本の顔料で繊細に丁寧にぼかしているのがみえて、
ああやっぱりこの絵は応為が自分の手で描いたんだなと、当然すぎることをひしひしと思いました。

広重と清親のほう。やっぱりかぶれているから広重の方がおもしろがってしまうんですが(名所江戸百景の構図ほんとに好きなんだよなあ)、清親の維新後の西洋エッセンスが入った空気感も新鮮でした。
風景のほかに動物や人の絵もあって、広重の唐獅子があったんですが、
いかにも唐獅子らしい豪快ゴリゴリ系の筆遣いで、あんたこんな絵も描けたんか!とたいへん驚きました。
それ考えたら庶民の絵を描いている浮世絵師でも、狩野派とか寺社の美術とかやまと絵とか水墨とか、古今の名画をちゃんとみて勉強しているんだろうなあ。

6月半ばに「百日紅」の映画もみたのでついでに書きますね。
以前店先で予告編を見たらうっかり涙が出そうになって、私はこんなに百日紅が好きだったのかと思い知りました。つくづく好きなものに気づくのが遅い。
江戸の街、音、人びと、匂い、光、絵、それらが生き生きと感じられました。
私は勉強不足も不足なのでお前がこんなこと言っても感ありますけど、江戸らしい絵の構図とか筆遣いがもっとあってもよかったなとは思いました。
原作のワンシーンがすごくかっこいい美しいコマがたくさんあるんだけど、かなりそのままの構図で生かされていてうれしかったです。


○5/31ルーヴル美術館展/国立新美術館
終了前日に行ったので行列がすごくて、チケット買うのに30分、会場はいるのに30分。
でもその人の多さで逆に根をつめすぎず、久しぶりの洋モノだったので構えすぎるとこんがらがってしまう危惧もあったので、さらさらと素直に楽しめて、わーみんな上手いなあーすごいなあーって感じでおもしろがっていました(とてもガキっぽい)。
風俗画っていうテーマもよかったんだと思う。なんだかんだ一般人がわちゃわちゃやってんのを見るのが好きなヒトなんだよ...。
大きい絵が多くて見ごたえはあるし、生の絵具の色はやっぱりきれいだし。

ブリューゲルを初めてみました。ずっとみたいと思っていました。
すごく小さい絵でしたが仕上がりは細やかできれい。ただし絵の内容は相当ヘビー。暖かそうな色合いの中に冷静な視線。
それから気になっていたマセイスは思ってたよりも画面がつやつやだった。描いているものがわりと卑近で目立って美しいモチーフでもないわけで、だからつやつやが意外だったのかな。
目玉のフェルメールはやっぱりベルトコンベアーができてましたけど、止まっていいエリアでじっと立ってましたけど、
図版でみすぎて目の前の実物の新鮮味は薄くなってしまったかもしれない...
でも窓から差し込む光はやさしく、やわらかく光って、きれいだと思ったのであった。
ほか、レンブラントとか、シャルダンとか。楽しめました。


○6/9舞台の「アドルフに次ぐ」/神奈川芸術劇場
突然展覧会じゃない話しますけど。
○○歳以下の割引チケットで行ったら、昔は余裕な感じしてた年齢だったのにわりとせまってて恐れおののきました。
そういえば大好きな原作を読んだときわたしは18歳でした。

FBにも書いたので軽く。
原作にはない「音」のリアリティーが全体をとおして胸に迫りました。
神戸のひとたちがみんな関西弁でしゃべるのもそうだし、ドイツ料理店の音楽もそうだし、「ハイルヒットラー」もそうだし、銃の音、空襲の音、戦争の音が、すごくリアルに響いて怖かった。
以前ものの本で治虫が「ぼくは焼夷弾が頭の上に落ちる音を聞いたことがある」と言っていたのを読んだことがあるけど、その音だろうかと思う音もしました。いや別に知りたくないけど。
その重さ、暗さ、怖さがずっとひしひしと底にあったので、終盤にいくにつれて特に体がこわばったというか、ぐぐっと力が入りっぱなしで観ていました。ラストの後味の不気味さもこのストーリーには合っていると思いました。


○6/16上村松園/山種美術館
松園はいままで数点みていたけどまとめてたくさんみるのは初めて。
あとは、同時代〜後年の女性画家たち。残念ながら山種にいくと終盤で頻繁におこしてしまう胸焼けを今回もおこしてしまいました。無念。

最初の松園の掛軸の並びは、ガラスと絵との距離がひじょーーに近く、顔料の質感まで仔細にみることができたいへん興奮しました。
女性の肌や顔立ちや指先はもちろんですけど、きもののちょっとした模様や色や髪の飾りの模様まで、この布にふれたらどんな手ざわりがするかわかるくらい繊細で、それは本当にうつくしいきものや簪や小物を知っているからこそ描けるのだなあと思ったわけです。
顔料の質感はさらさらと絹の上をすべり、さながら白粉のようでした。
素肌をみえなくして隠してしまう負のイメージでは決してなく、女性の美を品性を持って完成させる、そういう白粉の美を、白粉を使う女性だからこそ知っているのではないかという気がいたしました。
まあ考えれば当然なことをまた言うんですが、60すぎで美人画をばんばん描いているんですね。すごいエネルギッシュだなあ。

池田輝方と言う御仁の「夕立」という屏風を初めてみました。作家名で検索したら候補に出てくるので代表作なんですかね。
あらっちょっと良くない!?と思ったら参考出品でその部屋でひとつだけ男性の絵でした。
池田蕉園という女性画家の夫で、どちらもちょっと女学生的画風ですが、特に夫の方は顔に夢二っぽさがありつつ、
その憂いを含んだ表情や目の潤みやそれでいて日常的な仕草が、なんだけやけに共感してしまい、
人物と建物の配置も、なんだか、正直に言いますとああこんな絵描きたいなあと思いました。
画面に対して人物が大きめなので、ちょっと挿絵感がつよかったけど。
(ていうか今思い返すとね、そのとき描いてた絵をあ〜これ屏風にできたらいいのにな〜って思ってたんだよね、たぶんそのせいだよね)


それからつい先日終了間際のマグリット展にも行ったのですが、人が多すぎてあまりゆっくりみられなかったのとまだ感想ノートを書いていないのでちょっと保留。

そして6月も終了間際である...
この苦し紛れ感...
6月は光の速さで終わりました。
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