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14/06/22

6/19にバルテュス展へ行きました。

最近、展示をみに行くのがギリギリになりがちである。
まだ大丈夫、ととりあえず目先のことに気をとられているうちに日にちがたってしまい、
先日はとうとう出光美術館の日本美術展へ行きそびれてしまった。
抱一の八橋図かなにか(うろおぼえ)が確か出ていたはずなのになー、残念。
余談だけど今読んでいる本が向田邦子女史の「父の詫び状」(母の本棚から合意の上さらってきた)だもので、ぼーっとしているとかぶれた文章を書いてしまいそう。かっこつけてんじゃねえ。

展示の話に戻りましょう。閑話休題。

バルテュスが日本にやってきましたよ。実物のバルテュスの作品がこの目で見られるんですよ。
近頃とみに東洋にばかり偏っていた自分もここぞとばかりに観に参りました。

彼の絵づくりや人物表現、モチーフの表現の面白さはもちろん、
今回は特に油絵の具のマチエルを意識して観るようにしました。
単純に西洋の油画に出会うのが久しぶりだったのもあったし、
何よりかつての研究室の授業で、バルテュスの描き方について話が及んだといううっすらとした記憶があり
(はっきりしていないのが情けないところでございます)
確か絵具の塗り方、マチエルのことを言っていたと思うのです。
あれはおそらく、私がまだ色鉛筆でうっすくポソポソと塗っていた頃のことです。

で、そのマチエルはやはり興味深かった。
図録や画集などの印刷ではやっぱりこれはわからない。
きれいに形を描き出しているタッチの中に、意外にもボソボソとした粗さがあり、初期の作品だと下地がチラ見えしているものもあったり。
「安いスポンジケーキに塗った安い生クリームみたいだなあ」と思ったり(個人の見解です)
実際バルテュスは「光が最も美しく(忠実に?)表現できるマチエル」を研究していた時期があったらしく、
そこを経ると、壁画やフレスコのような乾きと油絵の具の堅さや厚みとを併せ持った独特の質感へと変貌していく。
晩年の作「朱色の机と日本の女」(やっぱ日本だから印象深く展示されていました)などの絵具の質感。
東洋を意識してあえて平面的に描かれて見える女性の身体に近づくと、白い面の中にそのマチエルが見える。
鉛筆でポソポソ描いていた頃に、バルテュスの描き方をひきあいに出されたのがちょっとわかったような気がしました。

そして最初に言った絵づくりや人物表現も。
バルテュスの描く人物、少女たちは不思議です。
自然にあるまじき幾何学的な形態の堅さを持っているかと思えば、生々しさやなまめかしさも持っている。絵の中で、妙な存在感を放つ。
絵づくりも、最初の個展のスキャンダラスなものから、それ以後まで、異様な雰囲気を持って展開されます。その異様さが、風景画なんかにもわりとあったりするのです。
どの派閥にも属さなかったバルテュスの、彼だけの世界です。
思えば独特のマチエルが独特の絵づくりとマッチしているんでありましょう。

それから自分が面白くて見入ってしまったのは、若い頃のペン画の「嵐が丘」挿画。
自分が「嵐が丘」を読んでいたせいもあるのか、物語に添えて描かれる絵づくりや表情の面白さに見入ってしまいました。
ペンのタッチも良い。バルテュスのペン画ははじめて観ましたけど。
ペンのタッチによるあの容赦のない暗さも合っていたと思う。

ちょっと展示方法が、云々、という話を小耳にはさみ、はてさてと思いつつ行ってみたのですが、
まあ確かに展示の中腹らへんでアトリエなど持ってこられてしまうと、
ちょうど調子づいてきてもっとどんどん絵がみたいのにお預けくらってる感は少々あり、
自分などはそのへん流し見で絵に向かいましたなあ。
純粋にバルテュスの絵は良いわけだから、その実物の良さだけでも日本でみられれば御の字なわけで。

だからまあ、最後の方でちょっと文句を垂れてみたところで、
結局実物が見られて本当によかったです、で締めるんですけどね。
西洋ものは、今度はオルセー美術館展があるからそれも行こうと思っています。笛を吹く少年が観たい。
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